千早城
日本の100名城 055番
国の史跡

概要

千早城(ちはやじょう)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早にある日本の城。国の史跡に指定されている。鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城である。四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城である。楠木七城の一つ。
千早城は、大和国五条と河内国大ケ塚・富田林を結ぶ最短ルートとして、昔から交通、軍事の要衝であった千早街道から登りつめた金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城である。城は、周囲が約4kmで千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、東は風呂谷があって、四方の殆どを深いに谷に囲まれ、城の背後のみが金剛山の山頂に連絡する要害の地である。金剛山の山頂は標高1125m、城の最高所の標高は673m、比高は175mとなっている。北条軍の大軍を引き受け、楠木正成が奇策を用いて名高い攻城戦の舞台となった。

(出典元:Wikipedia)

千早城址の石碑

城の面影はほぼない

千早神社

三の曲輪からの千早神社である

千早神社の説明板

千早神社は楠社とも通称されている

名称

    • 千早城

別名

    • 楠木詰城、金剛山城、千早の詰め城、千早のかくれ城

城郭構造

    • 連郭式山城

築城主

    • 楠木正成

主な城主

    • 楠木氏

築城年

    • 元弘2年/正慶元年(1332年)

遺構

    • 曲輪、空堀

所在地

    • 大阪府南河内郡千早赤阪村

菊水紋

楠木氏の家紋である