日本の100名城 061番
一万石以上の城
国の史跡
概要
高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城である。別名、高取山城。江戸時代は高取藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
城は、高取町から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。
曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
(出典元:Wikipedia)
十五間多聞櫓跡
十五間の長さがある修復された多聞櫓跡である
本丸虎口
折れ曲がる複雑な形状をもつ
本丸石垣
本丸をこの石垣で取り囲んでいた
名称
- 高取城
別名
- 芙蓉城、鷹取城、高取山城
城郭構造
- 連郭式山城
築城主
- 越智邦澄
主な城主
- 越智氏、筒井氏、本多氏、小出氏、植村氏
築城年
- 元弘2年(1332年)
江戸期石高
- 高取藩・本多氏3万石(諸説あり)
遺構
- 石垣、堀、井戸、他
所在地
- 奈良県高市郡高取町
丸に一文字に三つ剣
植村氏の家紋である