日本の100名城 063番
一万石以上の城
国の史跡
概要
鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(旧・因幡国邑美郡)に築かれた戦国時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。別名、久松山城。戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を窺うことができることから「城郭の博物館」の異名を持つ。織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉が兵糧攻めを用いて攻略した。開城後、入城した宮部継潤によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張された。現在は天守台、石垣、堀、井戸などが残る。
(出典元:Wikipedia)
復元された西坂下御門
江戸末期の門を復元したものである
三ノ丸庭園跡
かつては庭園があった
鉄御門付近
鉄御門付近の石垣群である
名称
- 鳥取城
別名
- 久松城、久松山城
城郭構造
- 梯郭式平山城および山城
築城主
- 但馬山名氏(諸説あり)
主な城主
- 山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
築城年
- 天文年間(1532年 - 1555年)
江戸期石高
- 鳥取藩・池田氏32万5千石
遺構
- 石垣、堀、井戸
所在地
- 鳥取県鳥取市
丸に三つ引き
吉川氏の家紋である