日本の100名城 075番
一万石以上の城
国の重要文化財
概要
萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった日本の城である。別名・指月城(しづきじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。
関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城。完工は慶長13年(1608年)だが、築城者である毛利輝元は、慶長9年12月に未完成のまま入城していた。
指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されている。本丸の御殿は藩主居館と政庁を兼ねており、250年余りの間、長州藩(萩藩)の拠点であったが、明治7年(1874年)前年に発布された廃城令により櫓など他の建物と共に破却され、石垣や堀(水堀)のみが現存している。現存していた頃の姿は解体前に撮影された古写真で見ることができる。現在、二の丸土塀や三の丸総門など一部は復元されている。さらには、破却された天守など建物の復元を行う動きもあるが、財源の問題で難しくなっている。
現在は指月公園(しづきこうえん)として整備され、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が現存し、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっている。
(出典元:Wikipedia)
天守台
かつては五重の望楼型天守が存在した
本丸南の雁木
本丸内門と天守台の間にあり国内最大級といわれている
二の丸南門桝形
厳重な石垣を見ることができる
名称
- 萩城
別名
- 指月城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 毛利輝元
主な城主
- 毛利氏
築城年
- 慶長9年(1604年)
江戸期石高
- 諸説あり
遺構
- 長屋、石垣、堀
所在地
- 山口県萩市
一文字三星
毛利氏の家紋である