日本の100名城 079番
一万石以上の城
愛媛県史跡
概要
今治城(いまばりじょう)は、伊予国越智郡今治(四国・愛媛県今治市通町三丁目)にあった日本の城。昭和28年(1953年)10月9日に愛媛県史跡に指定された。
慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城開始され、慶長9年(1604年)に完成した。普請奉行として渡辺了の名が知られている。今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。
二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所と非常に広大な造りだった。慶長14年(1609年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。高虎自身は移封されたが今治領2万石は飛び地として残り養子の高吉が居城した。
寛永12年(1635年)、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。広大な城郭は江戸260年間保たれたが、明治維新以後、廃城令施行前の明治2年(1869年)に廃城され、ほとんどの建築物が破却された。このとき二の丸北隅の武具櫓は収蔵物とともに残されたが、明治4年(1871年)に火災が発生した際、内部の火薬に引火して爆発炎上し破壊された。
(出典元:Wikipedia)
模擬天守
実際に天守があったかは不明であるが丹波国亀山城へ移築されたとする説もある
再建された山里櫓と模擬天守
堀には海水が引き込まれている
模擬天守からの景色
堀と今治市内が見渡せる
名称
- 今治城
別名
- 吹上城、吹揚城
城郭構造
- 輪郭式平城(海城)
築城主
- 藤堂高虎
主な城主
- 藤堂氏、松平(久松)氏
築城年
- 慶長7年(1602年)
江戸期石高
- 今治藩・藤堂氏20万石
- 今治藩・久松松平氏4万石
遺構
- 石垣、堀
所在地
- 愛媛県今治市
藤堂蔦
藤堂氏の家紋である