湯築城
日本の100名城 080番
国の史跡

概要

湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町にある城跡。堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。

  (出典元:Wikipedia)

南北朝時代、丘陵地に3段の曲輪(くるわ)が造営され、戦国時代にいたって丘陵部を二重の堀で囲んだ。1336年(建武3)、伊予国の守護河野通盛(こうのみちもり)が築いたとされ、以後250余年にわたり本拠とした。1585年(天正13)豊臣秀吉から四国平定の命を受けた小早川隆景は、3万余の軍勢で湯築城を包囲、城主の河野通直は約1ヵ月の籠城のすえに降伏し、河野氏は滅びた。城は隆景に与えられたが、その後、筑前に転封となった。替わって、福島正則が入城したが、居城を国分山城(こくぶさんじょう)(今治市)に移したため、湯築城は廃城となった。1602年(慶長7)、加藤嘉明が伊予松山城(松山市)を築城する際に、石垣などを持ち去り、城跡は荒れ果てた。現在、城跡は道後公園になり、内堀、外堀、土塁が現存する。

(出典元:コトバンク)

堀と土塁

堀と土塁が築城当時を思わせる

国史跡湯築城跡看板

平成14年に国の史跡に指定される

湯釜薬師

道後公園にある日本最古といわれる石造りの湯釜である

名称

    • 湯築城

別名

    • 湯月城

城郭構造

    • 梯郭式平山城

築城主

    • 河野氏

主な城主

    • 河野氏、小早川氏、福島氏

築城年

    • 建武2年(1335年)頃

遺構

    • 土塁、水堀、郭

所在地

    • 愛媛県松山市

折敷に角三文字

河野氏の家紋である