日本の100名城 081番
一万石以上の城
現存天守
国の重要文化財
概要
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため『伊予松山城』と呼ばれることもあるが、これは極稀なケースであり特別な事情を除いて一般的に「松山城」と指した場合は本項を示す。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。2009年のミシュラン観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定された。
松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大連立式平山城の1つにも数えられる。1933年ごろまでは、本丸部分には40棟の建造物が現存していたが、1949年までに19棟が火災により失われ、現存建築は21棟にまで減少した。建造物の現存数は二条城(京都府)の28棟に次ぐものである。
幕末に再建された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、深さ44メートルにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。
(出典元:Wikipedia)
現存する天守閣
現存天守12城のひとつである
復元された太鼓櫓
戸無門下からの太鼓櫓である
復元された内門
天守と玄関多聞の間の通路となっている
名称
- 松山城
別名
- 金亀城、勝山城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 加藤嘉明
主な城主
- 加藤氏、松平(久松)氏
築城年
- 慶長7年(1602年)着手
江戸期石高
- 伊予松山藩・蒲生氏24万石
遺構
- 天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、堀
所在地
- 愛媛県松山市
下り藤
加藤氏の家紋である