名護屋城
日本の100名城 087番
国の特別史跡

概要

 
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった日本の城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれた。国の特別史跡に指定されている。平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定された。
名護屋(古くは名久野)は海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、中世には松浦党の交易拠点の一つであった。ここにはもともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣添城があったが、豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。
名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城である。五重天守や御殿が建てられ、周囲約3キロメートル内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれた。 城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄した。
秀吉の死後、大陸進攻が中止されたために城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わる。石垣も江戸時代の島原の乱の後に一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却され、現在は部分が残る。歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されている。

(出典元:Wikipedia)

大手口

大手口にある名護屋城址の石碑である

櫓台

広範囲にわたり当時の石垣が遺されている

三の丸虎口

櫓門があったとされる

名称

    • 名護屋城

別名

    • 名護屋御旅館

城郭構造

    • 梯郭式平山城

築城主

    • 豊臣秀吉

主な城主

    • 豊臣秀吉

築城年

    • 天正19年(1591年)

遺構

    • 石垣、空堀、井戸

所在地

    • 佐賀県唐津市

五七桐紋

五七桐紋
豊臣氏の家紋の一例である