日本の100名城 089番
一万石以上の城
国の重要文化財
概要
佐賀城(さがじょう)は、佐賀県佐賀市にあった日本の城。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。
佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とは異なる部分が多く、厳密には未完成の城である。
江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用されていた。また、城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた。
明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが残っており国の重要文化財に指定されている。享保11年に焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されている。
現在、城跡は佐賀城公園として整備され、本丸周辺は東堀や土塁が復元され往時の姿を取り戻しつつあるほかは、佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県政治経済の中心地となっている。
(出典元:Wikipedia)
鯱の門
明治7年に勃発した佐賀の乱の際の銃弾跡が残っている
続櫓
鯱の門に連なった状態で続櫓がある
本丸御殿
佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元した佐賀城本丸歴史館が佐賀城跡に建てられている
名称
- 佐賀城
別名
- 佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城
城郭構造
- 輪郭梯郭複合式平城
築城主
- 鍋島直茂・勝茂
主な城主
- 鍋島氏
築城年
- 1602年(慶長7年)
江戸期石高
- 佐賀藩・鍋島氏35万7千石(諸説あり)
遺構
- 鯱の門、続櫓、移築御座の間、石垣、堀、土塁
所在地
- 佐賀県佐賀市
鍋島花杏葉
鍋島氏の家紋である