大分府内城
日本の100名城 094番
一万石以上の城
大分県・大分市指定史跡

概要

府内城(ふないじょう)は、豊後国府内(現在の大分県大分市)にあった日本の城である。大分城(おおいたじょう)、荷揚城(にあげじょう)、白雉城(はくちじょう)とも呼ばれる。
府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城である。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成させた。
江戸時代には府内藩2万1000石の藩庁が置かれていたが、明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、堀の一部が埋め立てられた。さらに第二次世界大戦時の大分空襲により櫓が数棟焼失した。
現在、城跡は大分城址公園となっている。本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、石垣、土塀、堀とともに大分県の史跡に指定されている。県の史跡に指定された以外の部分は、大分市の史跡に指定されている。また、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されている。三の丸跡には、大分県庁・大分市役所などがある。

(出典元:Wikipedia)

天守台

4層式の天守があったとされている

現存する宗門櫓

築城当初の面影を遺す数少ない現存建物である

復元された多聞櫓門

玄関口であるため大手門とも呼ばれる

名称

    • 府内城

別名

    • 大分城、荷揚城、白雉城

城郭構造

    • 梯郭式平城

築城主

    • 福原直高

主な城主

    • 竹中氏、日根野氏、大給松平家

築城年

    • 1597年

江戸期石高

    • 府内藩・大給松平氏2万2千2百石

遺構

    • 石垣、土塀、堀、櫓2棟、櫓跡

所在地

    • 大分県大分市

丸に釘抜

丸に釘抜
大給松平氏の家紋である