一万石以上の城
多聞櫓
概要
亀山城(かめやまじょう)は、三重県亀山市にある日本の城である。
江戸時代は東海道の要衝としてたびたび城主が変わり、石川氏の時代に幕末を迎えた。
江戸時代においては、亀山城は伊勢亀山藩の藩主の居城となった。江戸時代初頭には丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴の間違いによって、天守を取り壊されている。またこの時期の亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用している。このように本丸は徳川氏の休泊に度々利用されていたため、城主居館は二の丸におかれていた。寛永13年(1636年)、城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、天守を失った天守台に多聞櫓が築造された。
(出典元:Wikipedia)
多聞櫓
多聞櫓は県指定史跡に指定されている
復元された二の丸帯曲輪
2006年に復元されている
案内板
亀山城の説明が書かれている
名称
- 亀山城
別名
- 粉蝶城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 関実忠
主な城主
- 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏など
築城年
- 1265年
江戸期石高
- 亀山藩・石川氏、大給松平氏6万石
遺構
- 多聞櫓、石垣、堀、土塁
所在地
- 三重県亀山市
丸に釘抜
大給松平氏の家紋の一例である