一万石以上の城
加賀市史跡
概要
大聖寺城(だいしょうじじょう)は、石川県加賀市にある日本の城である。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宗永は西軍についたため、東軍の前田利長に攻められて8月3日(9月10日)に大聖寺城は落城し、宗永は自刃した。その後は前田家の家臣が城代を務めたが、元和元年(1615年)の一国一城令のため廃城となった。寛永16年(1639年)には前田利治が7万石を分けられて大聖寺藩を立て、跡地に藩庁として大聖寺陣屋を設けた。
(出典元:Wikipedia)
雪深い通路
時期的に通行が難しい状態であった
大聖寺城跡案内板
沿革など説明等が記されている
忠霊塔
芝生広場の山側に忠霊塔が建てられている
名称
- 大聖寺城
別名
- 錦城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 狩野氏
主な城主
- 狩野氏、、朝倉氏、堀江氏、佐久間氏、溝口氏、山口氏、前田氏、簗田氏
築城年
- 鎌倉時代
江戸期石高
- 大聖寺藩・前田氏10万石
遺構
- 曲輪、土塁、茶亭
所在地
- 石川県加賀市
梅鉢
前田氏の家紋である