一万石以上の城
史跡
概要
広瀬藩(ひろせはん)は、かつての出雲の中心地だった、現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれた。
寛文6年(1666年)松平家松江藩初代藩主・直政の次男・近栄が3万石を分与され立藩した。天和2年(1682年)近栄は越後騒動に荷担した罪から知行を半減されたが、貞享2年(1686年)に5千石、元禄7年(1694年)1万石を加増されて再び3万石となり、以後10代205年間在封した。嘉永3年(1850年)8代・直寛は幕府公役の勤を評され城主格となっている。
明治4年(1871年)、廃藩置県により広瀬県となり、同年松江県、母里県、浜田県の一部(隠岐地方)と合併して島根県になった。
藩主の松平家は明治2年に華族に列し、明治17年(1884年)に子爵を叙爵した。
(出典元:Wikipedia)
広瀬社会福祉センター
陣屋跡はこの付近といわれている
松平広瀬藩邸石碑
石垣・土塁が残りっており松平広瀬藩邸跡の碑が建っている
説明板
広瀬藩邸跡見取図が記されている
名称
- 広瀬陣屋
別名
- 広瀬城
城郭構造
- 陣屋
築城主
- 松平近栄
主な城主
- 越前松平氏
築城年
- 寛文6年
遺構
- 石垣
所在地
- 島根県安来市
葵紋の一例
松平氏の家紋の一例である
諸説あり
諸説あり