肥前鹿島城
一万石以上の城
佐賀県重要文化財

概要

鹿島城(かしまじょう)は、佐賀県鹿島市にある日本の城である。
佐賀藩の支藩である鹿島藩は初代・鍋島忠茂から9代・直彝まで常広城にいたが、鹿島川と塩田川の間の沖積地のため水害を受けることが多かった。このため直彜は文化元年(1804年)に幕府と本藩に移転を願い出て、翌文化2年(1805年)5月に許可を得た。常広城の居館を移転し、文化4年(1807年)に鹿島城は完成している。
その後1874年(明治7年)の佐賀の乱の際に鹿島城は焼失した。現在、跡地は佐賀県立鹿島高校や旭ヶ岡公園になっている。

(出典元:Wikipedia)

現存する赤門

鹿島城の大手門と赤門は現存する

赤門

赤門の内側からのショットである

鹿島城案内板

鹿島城の歴史が記されている

名称

    • 鹿島城 (肥前国)

別名

    • 鹿島新城

城郭構造

    • 平城

築城主

    • 鍋島直彜

主な城主

    • 鍋島氏

築城年

    • 1807年

遺構

    • 門、櫓、石垣、堀

所在地

    • 佐賀県鹿島市
鍋島花杏葉
鍋島花杏葉
鍋島氏の家紋の一例である