一万石以上の城
浜松城跡(浜松市指定史跡)
概要
浜松城(はままつじょう)は、静岡県浜松市にある日本の城である。
野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。
浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城であり、築城時の城主は不明である。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。この頃の引馬城は、江戸時代の絵図にみられる「古城」と表記された部分であり、現在の元城町東照宮付近にあたる。
徳川家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、城下町の形成を進めた。徳川家康在城時における浜松城の具体像は不明確であるが、古文書や出土遺物から現在の本丸に向けて城域が拡張されたことが窺える。また、徳川家康が築造した浜松城は、土造りの城であり、石垣や瓦葺建物を備えていなかったとされる。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後、江戸時代を通じて徳川家譜代大名の居城となり、浜松城から豊臣色は失われる。江戸時代の浜松城主は九家二十二代に引き継がれていき、歴代の城主によって城域の改変・改修が進められた。
堀尾氏在城期に創建された天守は、17世紀のうちに姿を消し、天守台のみが現在に伝わる。以降、天守門が浜松城の最高所に位置する建造物といえ、江戸時代を通して浜松城を代表する建物であったことが窺える。
明治6年(1873年)の廃城令によ り、浜松城の建物や土地の払い下げが行われ、三の丸、二の丸の宅地化が進行した。天守曲輪と本丸の一部は大きな開発を免れ、昭和25年(1950年)の浜松城公園開設に至る。
(出典元:Wikipedia)
模擬天守
堀尾氏期に創建された天守は17世紀になくなり天守台のみとなった
天守門
天守台の東に位置する櫓門である
天守門
歴代城主の多くが幕府の重役に出世したことから出世城といわれた
名称
- 浜松城
別名
- 曳馬城、出世城
城郭構造
- 梯郭式平山城
築城主
- 今川貞相?
主な城主
- 徳川氏、飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏他
築城年
- 1504年 - 1520年(永正年間)
藩
- 浜松藩
遺構
- 石垣、曲輪
所在地
- 静岡県浜松市
沢瀉
水野氏の家紋である