一万石以上の城
概要
唐津城(からつじょう)は、佐賀県唐津市にある日本の城である。
唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置する。唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城である。北面は唐津湾に面するため、海城ともいわれ、萩城とともに現在も直接海に聳える石垣が見られる。松浦川の右岸には虹の松原(国の特別名勝)が広がり、満島山を中心に鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。
江戸時代初期の慶長7年(1602年)から慶長13年(1608年)にかけて築城され、江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった。
廃城後、本丸は舞鶴公園となり、二の丸御殿跡に早稲田佐賀中学校・高等学校があり、その他の二の丸・三の丸跡は市街化している。現存する遺構としては石垣・堀があり、模擬天守、復興の櫓や門が建てられ、石垣・堀が復元されている。麓から舞鶴公園上段広場までは高低差が34mあるため、有料の斜行エレベーター(2016年4月現在100円)が備えられている。
(出典元:Wikipedia)
模擬天守
唐津市街の北部に位置しており松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸の満島山に位置している
唐津湾
擬天守から唐津湾が見渡せる
旗竿石
名護屋城から移設されたと記載されている
模擬天守
寛永4年(1627年)の幕府の記録には天守の存在は記されていない
名称
- 唐津城
別名
- 舞鶴城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 寺沢広高
主な城主
- 寺沢氏、土井氏、水野氏、小笠原氏
築城年
- 1608年
江戸期石高
- 唐津藩・寺沢氏12万3千石
遺構
- 石垣、堀
所在地
- 佐賀県唐津市
蟹紋
寺沢氏の家紋の一例である