一万石以上の城
大垣市指定史跡
概要
大垣城(おおがきじょう)は、岐阜県大垣市にある日本の城である。
宮川氏築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二ノ丸のみであったという。氏家氏、伊藤氏によって改築が加えられたとされ、1613年(慶長18年)には石川忠親によって総堀が加えられ、松平忠良が天守を改修した。その後1649年(慶安2年)に 戸田氏鉄によって明治に至る姿とされた。
戸田氏改修後は並郭式に本丸と二ノ丸を並べ、その周囲を三ノ丸で囲い、更に外周は惣構としていた。本丸には北西隅に4重4階(3重4階とも)の複合式層塔型天守を上げ、3重櫓1基に2重櫓を3基、二ノ丸に月見櫓など3重櫓を4基、三ノ丸には2重櫓4基、平櫓1基などが建て並べられ、本丸に2つ、二ノ丸に1つ、三ノ丸に大手門など大小5つ、外郭に南大手門など大小7つの門が開かれていた。
(出典元:Wikipedia)
模擬天守
大垣空襲により天守や艮櫓などが焼失した
櫓門
旧柳口門を移築している
戸田氏鉄銅像
大垣戸田藩初代藩主である
名称
- 大垣城
別名
- 麋城、巨鹿城
城郭構造
- 連郭輪郭複合式平城
築城主
- 伝・竹腰尚綱
主な城主
- 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、久松松平氏、戸田氏
築城年
- 伝・1500年
江戸期石高
- 大垣藩・戸田氏10万石
遺構
- 石垣、曲輪
所在地
- 岐阜県大垣市
九曜
戸田氏の家紋である