一万石以上の城
概要
佐貫城(さぬきじょう)は、千葉県富津市にある日本の城である。
江戸時代には佐貫藩の藩庁が置かれた。
佐貫城は、真里谷氏(真里谷武田氏)によって築かれた平山城。古文書から永正年間から天文6年(1537年)にかけて真里谷全芳(武田信秋)が城主を務め、加藤氏が城代を務めたと推測されている。加藤氏は『鎌倉大草紙』に登場する武田信長の家臣・加藤入道梵玄の末裔と推定され、真里谷氏の没落後も佐貫の有力者として時々の支配者に従った。
天文6年(1537年)以降のある時期に安房里見氏の支配下に入ると、里見義弘が拠り、久留里城と共に真里谷氏及び後北条氏への最前線として重要な役割を果たした(ただし、近年の古文書研究により、後北条氏が同城を占拠して城代を置いていた時期も存在していたことが判明している)。里見氏安房移封以降も城郭として維持され、17世紀末から18世紀初頭の一時期を除き、明治維新まで維持された。
(出典元:Wikipedia)
佐貫城門跡
石垣も遺っている
物見台
建物は特にない
案内板
城址の説明が簡潔に書かれている
名称
- 佐貫城
別名
- 亀城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 武田義広
主な城主
- 真里谷氏、里見氏、足利氏、加藤氏、内藤氏、松平氏、柳沢氏、阿部氏
築城年
- 応仁年間
江戸期石高
- 佐貫藩・内藤氏4万5千石
遺構
- 空堀、石垣、土塁、井戸
所在地
- 千葉県富津市
藤紋の例
内藤氏の家紋例である