一万石以上の城
三重県史跡
概要
神戸城(かんべじょう)は、三重県鈴鹿市にある日本の城である。
江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれた。
神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532年 - 1555年)に築城し、本拠地を澤城(神戸西城)から移した。滝川一益の侵攻に和睦し,養子にうけいれた織田信長の3男神戸信孝により、より強固に修築された。城主は度々代わり、関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入った。
その後一時期天領となった時期もあったが、慶安3年(1650年)、石川総長が1万石で当地に封じられた。享保17年(1732年)には本多忠統が2万石で封じられ、城を修築し入城した。以降明治維新まで、本多氏7代が居城として用いた。
本丸には野面積みの天守台があり、かつては神戸信孝により5重6階の天守が築かれ、北東に小天守と南西に付櫓がある複合連結式の天守であったことが確認されている。天守は文禄4年(1595年)に解体され、桑名城に三重櫓として移築され神戸櫓と呼ばれた。現在城の中心部は神戸公園となり、二の丸跡には、三重県立神戸高等学校が建てられている。
(出典元:Wikipedia)
天守台石垣
5重6階の天守が築かれていたという
堀跡と橋
天守跡からみた堀跡である
案内版
神戸城の沿革などが説明されている
名称
- 神戸城
別名
- 本多城
城郭構造
- 輪郭式平城
築城主
- 神戸具盛 (4代目当主)
主な城主
- 神戸氏、石川氏、本多氏、一柳氏
築城年
- 1532年 - 1555年
江戸期石高
- 神戸藩・一柳氏5万石
遺構
- 石垣、堀、移築櫓・門
所在地
- 三重県鈴鹿市
丸に釘抜
一柳氏の家紋である