田原城
一万石以上の城

概要

田原城 (三河国)(たはらじょう)は、愛知県田原市にある日本の城である。
江戸時代には田原藩1万2千石の藩庁であった。
江戸時代になると、田原城には三河の他の主な城と同様に譜代大名が置かれ、1万石そこそこと少ないながらも藩を形成した。はじめ田原戸田家の支族、戸田尊次が入り、その後寛文4年(1664年)に三宅氏が1万2千石で入封、そのまま明治維新を迎えるまで200年強支配した。三宅氏は、現在、最高裁判所の別名の三宅坂で名を残す。 廃藩置県後の明治5年(1872年)、他の多くの城と同様に田原城の建築物も取り壊された。

(出典元:Wikipedia)

復元二の丸櫓

内部は田原市博物館の一部となっている

復元桜門

昭和以降に再建されたものだという

堀跡

巴型に水堀が巡っている

名称

    • 田原城

別名

    • 巴江城

城郭構造

    • 梯郭式平城

築城主

    • 戸田宗光

主な城主

    • 戸田氏、伊木氏、三宅氏

築城年

    • 1480年

江戸期石高

    • 田原藩・三宅氏1万2000石

遺構

    • 石垣、堀

所在地

    • 愛知県田原市

三宅輪宝の一例

三宅輪宝
三宅氏の家紋例である