一万石以上の城
概要
宮津城(みやづじょう)は、京都府宮津市にある日本の城である。
関ヶ原の戦い後、細川家は豊前国に転封し、代わりに京極高知が丹後国12万3千石を拝領し入封した。高知は晩年、丹後の中心地をふたたび舞鶴から宮津城に移し、城もこの時に大規模に改修された。高知は丹後を3分割し、本藩の宮津藩・支藩の田辺藩・支藩の峰山藩を創設した。宮津藩主になった京極高広は、さらに宮津城を大規模に改修し、本丸に七基の二重櫓をあげるなど、近世の城として宮津城を作り直した。なお当初の田辺藩や峰山藩は丹後宮津藩の藩内の分家であり、独立した藩ではないという見方もある。
しかし宮津藩京極氏も2代目当主・高国の代に領国を召し上げられ、旗本となった。京極家は名家でもあったので、高家になっていた時期もある。その後は永井家・阿部家・奥平家・青山家と目まぐるしく城主は替わったが、1758年(宝暦8年)に松平資昌が7万7千石で入封し、以後7代続いて明治維新を迎えた。
(出典元:Wikipedia)
太鼓門
宮津小学校には城門が移築現存している
説明文
宮津小学校前に設置されている
細川ガラシャ像
壮絶な生涯を送ったガラシャの像である
名称
- 宮津城
築城主
- 細川藤孝
主な城主
- 細川氏、京極氏、長井氏、阿部氏、奥平氏、青山氏、本庄氏
築城年
- 天正8年(1580年)
江戸期石高
- 宮津藩・京極氏12万3000石
所在地
- 京都府宮津市
隅立て四つ目
京極氏の家紋である