概要
♪花の山形 紅葉の天童 雪をながむる尾花沢
ヤッショマカショ
花笠まつりで歌われている「花笠音頭」の起源は尾花沢市にある 徳良湖とくらこの築堤工事の土搗き唄どつきうただと伝えられています。
明治以降、各地で新田開拓が盛んになると、尾花沢の高宮常太郎たかみやつねたろう氏は2ヘクタールの原野にため池を造り、その水で新田開拓を計画。大正8年9月に工事が始まりました。当時は重機などありませんでしたから、すべてが手作業。近隣の70余りの集落から、17歳から20代はじめの男女が集まりました。全員が日除けや雨除けになるスゲ笠を持参し、男性はモッコを担いで土を運び、女性は土を固める土搗きを行いました。
重さが12~15㎏もある大きな土搗き石に10~12本の綱を付け、一人1本ずつ綱を握って引っ張ります。すると土搗き石が宙に浮き、綱をゆるめれば落下するという、単調ではあるものの大変な作業を繰り返し地面を固めました。そしてこの重労働をお囃子はやしに合わせて行っていたところ、懸賞金付きで歌詞を募集することになり、新しい歌詞がいくつもできたといいます。唄にあわせ土搗きをし、かぶっていたスゲ笠を使い即興で踊ることもあったそうです。
大正10年5月の完成までにおよそ7万人が築堤工事に従事。蛇足ですが、従事したのは年頃の男女でしたので、この事業をきっかけに、周辺農村では徳良湖カップルがたくさん誕生したそうです。次第にこの土搗き唄は、尾花沢本町をはじめ近郊農村の祝事の酒席で披露されるようになり、手拍子や笠踊りといっしょに宴に花を添えるようになったのです。
徳良湖が完成した大正10年、尾花沢本町諏訪神社の秋まつり(旧暦7月28日)の行列には、百人余りの男女が笠踊りで参加。諏訪神社の山車を飾っていた紅花の造花(紅染めの紙でつくられた紅花)が付けられたスゲ笠を手に持ち、土搗き唄にあわせて笠踊りが奉納されました。この日は周辺農村に人がいなくなるほどの賑わいで、沿道の観客を魅了したそうです。これが花笠踊りの誕生とされています。
山形花笠まつり
8月
祭り・踊り・伝統行事
山形県山形市