愛知県
ユネスコ無形文化遺産
国の重要無形民俗文化財

須成祭
須成祭
須成祭
須成祭
須成祭
須成祭
 

概要

須成祭(すなりまつり)は、愛知県海部郡蟹江町の冨吉建速神社・八剱社両社の祭礼として行われる川祭。疫病退散を祈願する天王信仰(牛頭天王の信仰)の祭礼であり、須成天王祭(すなりてんのうまつり)とも呼ばれる。
冨吉建速神社(とみよしたてはやじんじゃ)はかつて牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていた。祭りの起源は定かではないが、天文17年(1548年)に織田信長が牛頭天王社の社殿を修復した際には、祭礼を今後も継続するように命じており、この時にはすでに行われていた。天正12年(1584年)には、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営が戦った蟹江城合戦によって牛頭天王社の社殿が焼失したが、須成祭は何らかの形で続けられたとされる。文禄年間(1592年-1595年)にはこの地域で疫病が流行したが、豊臣秀吉は後世に至っても祭礼をなおざりにしないよう命じている。
江戸時代には尾張徳川公が須成祭に対して50石を給与している。寛文年間(1661年-1673年)に編纂された『寛文村々覚書』でも言及されている。弘化3年(1846年)に完成した『尾張志』にも牛頭天王社の祭礼として登場する。このため、須成祭を厳密にいえば「冨吉建速神社・八剱社両社の祭礼」ではなく「冨吉建速神社の祭礼」である。

(出典元:Wikipedia)

正式名称
須成祭
開催時期
8月第1土曜・日曜を中心とする100日間
寺社
冨吉建速神社・八剱社
会場
愛知県海部郡蟹江町