一万石以上の城
概要
杵築城(きつきじょう)は、大分県杵築市にある日本の城である。
杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。連郭式の平山城で、台山を空堀により4区画に区切られていた。 当初は台山山城に主郭部が設けられたが、慶長元年(1596年)の震災と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため、台山北麓に居館が移され、正保2年(1645年)以降は松平氏により山上の郭群が廃止されている。
戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。
(出典元:Wikipedia)
模擬天守
慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守は損壊したとされる
模擬大手門
実質的には城址公園の門である
石碑
木付城と書かれている
名称
- 杵築城
別名
- 木付城、勝山城、臥牛城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 木付頼直
主な城主
- 木付氏、前田氏、宮部氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏
築城年
- 1393年
江戸期石高
- 杵築藩・小笠原氏4万石
遺構
- 石垣
所在地
- 大分県杵築市
三階菱
小笠原氏の家紋である