久留里城
一万石以上の城

概要

久留里城(くるりじょう)は、千葉県君津市にある日本の城である。
久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城(古久留里城)で、以降は信長の子孫である真里谷氏が支配した。戦国時代には真里谷氏は衰え、代わって里見氏の拠る所となり、里見氏によって再構築され(新久留里城)、佐貫城と共に対北条氏の最前線を担った。その後、江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備され、酒井氏の加増地となった17世紀末から18世紀半ばを除いて、近世城郭として明治維新まで維持された。

(出典元:Wikipedia)

模擬天守

再建天守は浜松城模擬天守をモデルとした

城山公園

縄張り周辺は城山公園となっている

男井戸・女井戸跡

奈良時代の僧・良弁によって掘られたという

名称

    • 久留里城

別名

    • 雨城、霧降城、浦田城

城郭構造

    • 連郭式山城

築城主

    • 武田信長

主な城主

    • 上総武田氏、里見氏、後北条氏、大須賀氏、土屋氏、黒田氏

築城年

    • 1456年

江戸期石高

    • 久留里藩・大須賀氏3万石

遺構

    • 土塁、堀切、郭、土橋、井戸

所在地

    • 千葉県君津市

三つ石

三つ石
土屋氏の家紋である