一万石以上の城
沼田市指定史跡
概要
沼田城(ぬまたじょう)は、群馬県沼田市にある日本の城である。
幾つかの守護城に囲まれた堅城である。沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能した。沼田藩の藩庁。はじめは倉内城と称した。2017年には、続日本100名城(138番)に選定された。
群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城。二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でもある。
沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となった。本能寺の変後は真田信幸の支配城として、後北条氏と争った。
江戸時代に城主は真田家5代、天領、本多家3代、黒田氏(譜代大名)2代を経て、土岐氏12代目に明治維新を迎えている。真田氏時代には5層の天守や3層の櫓が建てられたが、時代とともに縮小し、本多氏時代には三の丸を改修して館を建てる程度の規模になった。
明治維新後、1916年に旧沼田藩士の家の久米民之助によって城地が購入され整備された。1926年には沼田町(沼田市)に寄付され、現在は沼田公園となっている。
(出典元:Wikipedia)
沼田城址碑
江戸時代には真田家5代、天領、本多家3代、黒田氏2代を経て土岐氏12代が城主となった
天守跡碑
真田氏時代には5層の天守が建てられたが時代とともに縮小したという
鐘楼
沼田公園のシンボル的な存在となっている
名称
- 沼田城
城郭構造
- 丘城
築城主
- 沼田顕泰
主な城主
- 沼田氏・本庄氏、猪俣氏・真田氏
築城年
- 1532年
江戸期石高
- 沼田藩・本多氏4万石
遺構
- 土塁、堀、石垣、城門(移築)
所在地
- 群馬県沼田市
本多葵
本多氏の家紋である