一万石以上の城
福知山市史跡
概要
福知山城(ふくちやまじょう)は、京都府福知山市にある日本の城である。
江戸時代には福知山藩の居城であった。2017年には、「続日本100名城」(158番)に選定された。
現在のような縄張りは明智光秀がおこなった。畿内を押さえた織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた。豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った。丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした。
現在は、福知山城公園として整備され、天守は三重三階の大天守と二重二階の小天守が1986年(昭和61年)に復元された。福知山市郷土資料館の施設となっている。公園入口には隅櫓風城郭建築様式の福知山市佐藤太清記念美術館がある。
市街地を一望する福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍城の別名を持つ。
東から西に流れる由良川が天然の堀となっており、北側には土師川と合流する標高40mの台地に築かれ展望のよくきく地である。東、北、西は断崖で要害の地でもあった。国道9号走行中やJR福知山線の列車内からうかがえ、夜間はライトアップもされシンボリックである。また多数の桜が城周辺に植林されており、春には満開となる。
(出典元:Wikipedia)
福知山城
明智光秀が築城し、江戸時代には福知山藩の居城であった
復元天守
三重三階の大天守と二重二階の小天守が1986年(昭和61年)に復元された
石垣
様々な転用石が利用されている
名称
- 福知山城
別名
- 横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城
城郭構造
- 連郭式平山城
築城主
- 明智光秀
主な城主
- 明智氏、朽木氏
築城年
- 1579年
江戸期石高
- 福知山藩・有馬氏8万石
遺構
- 曲輪、石垣、井戸、移築番所・門
所在地
- 京都府福知山市
有馬巴
有馬氏の家紋である