一万石以上の城
大分県史跡
概要
臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にある日本の城である。
城跡は大分県の史跡に指定されている。戦国時代、大友宗麟により臼杵城の前身となる「丹生島城」が築かれ、大友氏の拠点となった。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれた。
丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。ちなみに丹生島の「丹生」とは「金属鉱石の産出する島」という意味である。義鎮は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した。
城には3重の天守と31基の櫓が上げられた。総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱櫓と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。廃藩後は天守以下建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。現在、城郭主要部は都市公園として整備され、石垣、空堀が残る。また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存する。
(出典元:Wikipedia)
臼杵城跡
現在は臼杵公園として整備されている
復元二の丸大門櫓
2001年(平成13年)二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元された
現存畳櫓
櫓は二の丸に現存する
名称
- 臼杵城
別名
- 丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城
城郭構造
- 連郭式平山城(海城)
築城主
- 大友宗麟
主な城主
- 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏
築城年
- 1562年
江戸期石高
- 臼杵藩・稲葉氏5万石
遺構
- 曲輪、畳櫓、卯寅口門脇櫓、石垣、空堀、堀
所在地
- 大分県臼杵市
折敷に三文字
稲葉氏の家紋の一例である