高田城
一万石以上の城
県指定史跡

概要

高田城(たかだじょう)は、新潟県上越市にある日本の城である。

2017年には続日本100名城に選定された。
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。

(出典元:Wikipedia)

復元三重櫓

江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている

本丸跡

本丸御殿などがあったといわれている

西堀橋

蓮が一面を覆いつくしている

名称

    • 高田城

別名

    • 鮫ヶ城、関城、高陽城

城郭構造

    • 輪郭式平城

築城主

    • 松平忠輝

主な城主

    • 松平氏、稲葉氏、榊原氏

築城年

    • 1871年

    • 高田藩

遺構

    • 土塁、堀

所在地

    • 新潟県上越市

葵紋(一例として)

葵紋
諸説が多数あるため一例である