加納城
一万石以上の城
国の史跡

概要

加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市にある日本の城である。
徳川家康による天下普請によって築かれた平城で、江戸時代には加納藩藩主家の居城となった。城跡は加納城跡(かのうじょうあと)として国の史跡に指定されている。
関ヶ原合戦の結果、それまで岐阜城を本拠地にしていた織田秀信(信長の孫息子)が追放され、慶長6年(1601年)に岐阜城は破却された。そして、都市名は関ヶ原合戦前の「岐阜」から「加納」に改名され、岐阜城の代わりとして翌1602年7月1日から加納城が築城され、9月に徳川家康の義理の息子である奥平氏が入城した時には本丸・二ノ丸は完成していたようである。縄張は徳川家康自身が行ったとされ、普請奉行は本多忠勝とし近隣の大名を動員した。いわゆる天下普請である。建材は主に岐阜城のものが用いられ、解体した岐阜城天守の部材を二ノ丸御三階櫓に転用したと伝えられる。加納城は加納藩の藩主の居城となり、慶長7年(1603年)に奥平信昌が入った後、奥平氏の居城となった。
寛永9年(1632年)に奥平忠隆が死去、嫡子がいないために改易されると従兄弟の大久保忠職が入城、一時的に城主となる。その後の寛永16年(1639年)に戸田光重が入城、3代にわたり城主を務めるが移封され、宝永8年(1711年)に安藤信友の居城となった。さらに時代が下って宝暦5年(1755年)に永井信陳が加納藩主となり、明治維新に至るまで永井氏の居城となった。
 

(出典元:Wikipedia)

本丸石垣

野面積の石垣が遺されている

土塁の上部

堀と本丸の間に土塁が存在する

加納城大手門跡石碑

中山道・加納宿に加納城が存在した

名称

    • 加納城

別名

    • 沓井城

城郭構造

    • 平城

築城主

    • 奥平信昌

主な城主

    • 奥平氏、戸田氏、安藤氏、永井氏

築城年

    • 1602年

江戸期石高

    • 加納藩・奥平氏10万石

遺構

    • 石垣、堀跡

所在地

    • 岐阜県岐阜市

団扇

団扇
奥平氏の家紋である