高槻城
一万石以上の城
大阪府指定史跡

概要

高槻城(たかつきじょう)は、大阪府高槻市にある日本の城である。
室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。内藤氏の後は土岐氏、松平氏、岡部氏、永井氏とたびたび城主が入れ替わった。
明治7年(1874年)に廃城となり、東海道線が敷設される際、石垣や木材などがその資材にあてられた。現在、城域の一部が城跡公園として整備され、復元石垣、高山右近像が建てられている。

(出典元:Wikipedia)

高槻城跡石碑

高槻城は入江城ともよばれた

城址公園石碑

城域の一部が城跡公園として整備されている

高山右近像

戦国時代から江戸時代初期にかけてのキリシタン大名として知られる

名称

    • 高槻城

別名

    • 久米路山龍ヶ城、入江城

城郭構造

    • 平城

築城主

    • 近藤忠範

主な城主

    • 入江氏、和田氏、高山氏、内藤氏、永井氏、岡部氏

築城年

    • 10世紀末

江戸期石高

    • 高槻藩・岡部氏5万石

遺構

    • 堀、移築城門

所在地

    • 大阪府高槻市

一文字に三つ星

一文字に三つ星
永井氏の家紋例である