沖縄県の城
国の史跡
概要
安慶名城(あげなじょう、琉球語: あげなグスク、あげなグシク)は、沖縄県うるま市安慶名にあったグスク(御城)の城趾である。15世紀(三山時代)から16世紀にかけて同城を拠点に沖縄本島中部一帯を三代にわたり支配した安慶名大川按司(英祖王の男系子孫)の拠点として知られ、1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定された。
天願川の平地に隆起した珊瑚性石灰岩の岩塊の断崖と傾斜を利用した山城で、自然の岩と岩との間に石垣や城門を構えている。形態は、外側と内側に二重の石垣を巡らす輪郭式のグスクである。城の北に天願川が流れており、その別名が「大川」であったことから安慶名城も「大川城」という別名を持っている。
三山時代の1322年に今帰仁仲宗根若按司(北山王)は父である仲昔今帰仁按司(丘春)の従兄弟であった有力按司・帕尼芝(後に後北山王を自称し北山王国を建国)に敗れ今帰仁城を追われその道中に力尽きた。一族は各地へと散り若按司の八男であった子の今帰仁王子も父の亡骸を葬った後に南へと逃れ、名護・読谷山経由で越来間切(後の美里間切)嘉手苅村へと流れ着いた。そこで力をつけた今帰仁王子は同地を治めていた美里大主に見出され彼の娘・眞鶴金を妃として迎え美里間切伊覇村(現在のうるま市石川伊波)に伊覇城(現在では伊波城と呼ばれている)を築き、伊覇按司(一世)と名乗った。
1453年にその五男である安慶名大川按司一世によって安慶名城は改築城された。築城自体は旧城主の手によって1360年頃に行われたとされる。城周辺は安慶名中央公園として整備されており、現在も安慶名按司とその一族の墓は敷地内にあり毎年清明祭(シーミー)の時期には子孫らが集まる。
(出典元:Wikipedia)

安慶名城跡
奥が城跡で手前が闘牛場である

安慶名闘牛場
闘牛大会は年間1~2回の開催となっている

闘牛場
駐車場にある案内板である
名称
- 安慶名城
別名
- 大川グスク
城郭構造
- 輪郭式山城
築城主
- 不明
主な城主
- 安慶名氏
築城年
- 1360年頃(三山時代)
遺構
- 石垣
所在地
- 沖縄県うるま市