愛知県の城
続日本100名城(150番)

概要

古宮城(ふるみやじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった戦国時代の日本の城。平山城。戦国時代の武田氏による城郭と考えられ、現在も同氏の築城術の多くが理解できる遺構が残っている。新城市指定史跡。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(150番)に選定された。
古宮城自体が同時代の史料に登場しないため、築城から廃城に到る過程については明らかではないが、『三河国二葉松』によると元亀2年(1571年)に武田信玄が馬場信春に命じて築城させたとある。前述のとおり古宮城の地は街道上の要衝に立地し、当時武田氏が抗争していた三河の徳川家康攻略の拠点として築城されたと考えられている。『二葉松』によると小幡又兵衛(昌盛?)、甘利左右衛門(信康?)、大熊備前守(朝秀?)が在城したという。
廃城の時期についても明らかではないが、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで武田氏の勢力が大きく後退した時期の可能性が高い。
『中津藩史』によると、この頃、作手を領有していた奥平氏は武田氏から離反して、徳川家康に再属する記述が見られる。
天正元年8月(1573年)に亀山城を放棄した奥平貞能と一族郎党を、古宮城の武田軍が追捕行動を起こした。逃亡奥平軍の殿軍に肉薄したところ、奥平の別働隊が手薄の古宮城を襲うと見せかけた陽動放火を展開。古宮城の危機と判断した武田軍は追捕を断念したという。

(出典元:Wikipedia)

桝形虎口

桝形虎口

山全体に縄張りがされている

土塁

土塁

山麓周囲を堀と土塁に囲まれている
白鳥社

白鳥社

城郭跡は現在白鳥社が建立されている

名称

    • 古宮城

別名

    • 〇〇平山城

城郭構造

    • 平山城

築城主

    • 武田信玄

主な城主

    • 不明

築城年

    • 元亀2年(1571年)

遺構

    • 土塁・曲輪・横堀・竪堀等

所在地

    • 愛知県新城市

四つ割菱

四つ割菱
武田氏の家紋である