愛知県の城
概要
御器所西城(ごきそにしじょう)は現在、神社がある付近に在った平山城である。
比高差10メートルの丘に建てられた。現在の社地は嘉吉年間(1441年-1443年)に佐久間美作守(佐久間家勝とも言われる)が築いた御器所西城の跡地と伝わる。 なお、創建当時は空堀と土塁の一部が残っていたというが、2009年(平成21年)現在では周辺の開発も進んでおり痕跡を確認出来ない。神社の西側から北側にかけて石垣があるがこれは近年の神社整備によって造られたもの。本殿の背後(北側)にわずかに残る崖状の地形が、城があった当時の様相を伝えるのみである。
佐久間盛次の代になると織田信長に仕えた。子の佐久間盛政は柴田勝家の甥であったので天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは勝家の軍勢に属した。この戦いで盛政は討死し、廃城になった。
(出典元:Wikipedia)
御器所西城跡
本殿の北側にわずかに残る崖状の地形があり当時の様相を伝えるのみである
案内板
御器所西城の歴史について記されている
石碑
鳥居脇に標柱と説明版が立てられている
名称
- 御器所西城
別名
- 御器所城
城郭構造
- 平山城
築城主
- 佐久間家勝
主な城主
- 佐久間氏
築城年
- 嘉吉年間(1441年-1443年)
遺構
- 堀跡、石碑、説明版
所在地
- 愛知県名古屋市
丸の内に三引両
佐久間氏の家紋である