愛知県の城

概要

亀山城(かめやまじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった日本の城。作手城と表記されることもある。
作手盆地の南東部に位置。
上野国から作手地方に移住した奥平貞俊は当初、川尻城を本拠としたが、応永31年(1424年)に亀山城を築き移った。
駿河国の今川氏や尾張国の織田氏など転属先を変えて生き延びてきた奥平氏の本拠地であった。
元亀年間(1570年 - 1573年)には、奥平貞能の子貞昌(信昌)が甲斐国の武田氏に従属したため、武田氏の三河侵攻の拠点となる。だが、天正元年(1573年)には徳川氏へ再転属。徳川家康によって貞昌が長篠城主となったため、主要な城ではなくなった。
関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)には信昌の四男松平忠明が城主となり作手地方支配の拠点となるが、慶長15年(1610年)に伊勢国の亀山城へ移封されると、城は廃城となった。

(出典元:Wikipedia)

本丸跡

本丸跡

亀山城を中心にして周辺にはいくつかの武田氏と関係の深い城跡が集中して見られることがこの地域の特徴である
虎口

虎口

亀山城は奥平氏の居住的役割でなく軍事的拠点であった可能性が高いとされている
曲輪

曲輪

曲輪は丘陵頂部の東よりに位置し東西60m・南北28mの楕円形を呈し周囲は土塁で囲まれている

名称

    • 亀山城

別名

    • 作手城

城郭構造

    • 山城

築城主

    • 奥平貞俊

主な城主

    • 奥平氏

築城年

    • 1378年(永和)

遺構

    • 土塁・曲輪・空堀

所在地

    • 愛知県新城市

団扇

奥平氏の家紋例である