愛知県の城
概要
寺部城(てらべじょう)は、現在の愛知県豊田市寺部町にあった日本の城(平城)。
寺部城は、文明年間(1469-1487年)に鈴木重時(下野守)によって築かれた。寺部鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋庄東部を支配して、同地域に勢力を拡大しようとする松平氏と対立した。
天文2年(1533年)には岩津城(愛知県岡崎市岩津町)外で、鈴木重教は松平清康と戦うなどしていたが、三河に進出した今川義元に服属。しかし織田信長が台頭すると織田氏側に付いて離反したため、今川勢に攻められ、永禄元年(1558年)には鈴木重辰が松平重吉・元信と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した。重教の子重政は、今川氏に服属するが、桶狭間の戦い以後の今川氏の退潮に伴って没落。
城は、永禄9年(1566年)、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。寺部鈴木氏は松平氏の臣下となった。
その後、慶長15年(1618年)に尾張徳川家家老の渡辺守綱が寺部に入封し、一万四千石を領した。守綱は、寺部城址に陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治時代まで至った。河内国伯太藩の大名渡辺家は分家にあたる。
(出典元:Wikipedia)
主郭
三河湾を見下ろす標高30mの丘陵上に築かれた城である
磁石
尾州徳川家の家老職家の居城であった
寺部城祉説明版
寺部城について記されている
名称
- 寺部城
城郭構造
- 平城
築城主
- 鈴木重時
主な城主
- 寺部鈴木氏、本多氏、田中氏、渡辺氏
築城年
- 文明年間
遺構
- 曲輪、土塁、堀、碑、移築城門
所在地
- 愛知県豊田市
渡辺星
渡辺氏の家紋である