一万石以上の城
奈良県指定史跡
概要
大和郡山城(やまとこおりやまじょう)は、奈良県大和郡山市にある日本の城である。
豊臣政権の中初期には秀吉の実弟羽柴秀長の居城となり、その領国であった大和・紀伊・和泉100万石の中心であった。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた。
10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録が郡山城の初見とされる。奈良時代には薬園が営まれていた。郡山城は、秋篠川と富雄川の中間に突き出た西京丘陵南端上に位置する。平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石20荷の提供を義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用された。中には、平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、8世紀ごろの仏教遺跡である「頭塔」(奈良市)の石仏が郡山城の石垣の中から見つかっている。
17世紀初頭、増田長盛が改易された後一時廃城となるが、水野勝成入封時に徳川幕府よって改修を受けた。その後は譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城とした。
桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されている。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(165番)に選定された。
(出典元:Wikipedia)
天守台
豊臣秀長時代または増田長盛時代に天守があったという
復元追手東隅櫓
多聞山城から流用された軒平瓦や安土城と同文の軒平瓦が周辺から出土している
復元追手門
梅林門とも呼ばれる
名称
- 郡山城
別名
- 雁陣之城
城郭構造
- 輪郭式平山城
築城主
- 郡山衆及び筒井氏
主な城主
- 筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏
築城年
- 1162年(応保2年)及び1580年(天正8年)
江戸期石高
- 郡山藩・柳沢氏15万1000石
遺構
- 石垣、堀
所在地
- 奈良県大和郡山市
柳沢花菱
柳沢氏の家紋である