一万石以上の城
概要
淀城(よどじょう)は、京都府京都市にある日本の城である。
現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。
淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。
淀城は、宇治川、桂川の合流付近の川中島、現在の京都市伏見区の京阪電気鉄道淀駅の南西に位置する。安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城は現在の位置より北へ約500メートルの位置にあった。こちらは、鶴松死後に拾丸誕生後養子となっていた豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重茲の連座とともに廃城とされた。
江戸時代に、木幡山にあった徳川氏の伏見城の廃城により、その代わりとして江戸幕府が松平定綱に命じて新たに築かせた。以降は、山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。
(出典元:Wikipedia)
本丸跡
周辺は淀城跡公園となっている
天守台跡
天守は二条城からの移築という説がある
天守台跡
天守は落雷により焼失したとされている
名称
- 淀城
別名
- てん城、新淀城
城郭構造
- 梯郭式平城
築城主
- 松平定綱
主な城主
- 久松松平氏、石川氏、稲葉氏他
築城年
- 1623年
江戸期石高
- 淀藩・稲葉氏10万2千石
遺構
- 石垣、堀、天守台、本丸跡、二の丸跡等
所在地
- 京都府京都市
折敷に三文字
稲葉氏の家紋の一例である